プロフィール

みうらしげはると申します。

家族をまとめて、三浦家(みうらけ)と呼んでください。

開業した屋号は「たのすけ」です。

このブログでは

①子育てについて(2人の愛娘)

②家族で移住した田舎暮らしについて(東京→山梨県北杜市)

③親子で実現した世界一周のこと(観光、交流、国際協力から学んだこと)

④ライフスタイル、ワークスタイル(自分が思う豊かさの実現、バランス)、旅、人生、移住のこと、衣食住、居職充についてなど

を語るブログを目指す。

◆野菜を買ってください(ズバリ!)

堆肥は土をつくり、野菜をつくり、人をつくり、体をつくり、ふるさと作ります

ぜひ、八ヶ岳の唯一無二の野菜を食してください。

私は、その落ち葉堆肥を作る人、堆肥を活用した唯一無二の野菜を販売する人です。

https://shop.foodagrinextlab.jp/

◆開業した屋号「たのすけ」

相互扶助を目的として、移住者、2拠点居住者、地域おこし協力隊、ファミリー層が気軽に立ち寄れる共同シェアライフ「たのすけ」をオープン

山梨県北杜市に移住した後に取り上げていただいたメディアの情報を紹介

◆ラジオFM-Fuji(2019/12/23、24、25、26、27放送)
ヒューマンターミナルにて(視聴可能)
ラジオ特集はこちら(視聴OK)

◆UTY ニュースの星(2018年12月4日放送)
「みんなちがってみんないい 廃校直前の小学校の道徳の授業」
ニュース動画はこちら

◆Hi Life2019
トークライブ出演
登壇者:斎藤健一郎(朝日新聞記者)、佐々木俊尚(ジャーナリスト)、ぱや(清里日報)

◆Hi Life2020
トークライブ出演
登壇者:設楽清和(NPO法人パーマカルチャーセンタージャパン代表)、川嶋直(公益社団法人日本環境教育フォーラム理事長)、

◆山梨日日新聞&YBS放送共同企画(2019年4月26日放送)
「てててTV~つなぐをつくろう」

みうらしげはる、って何者?

本名は、三浦茂晴。こう見えて、田舎者。

山梨県の村出身。1982年2月28日生まれ(うお座 A型)。こう見えて、世間知らずの長男坊。

好きなうどんは「吉田のうどん」。ソウルフード。うどん屋を開業するのも夢にノミネート。

チャームポイントは、つぶらな瞳と大きな頭。野球の松井秀樹氏と同じく頭周りが61.5センチあり、ディフェンス重視で鍛えた下半身がゴッツい為、私の隣にいる人は、もれなく小顔効果、細身効果が約束される。つまり、一緒にいると、お得ということ。

標高900mの避暑地では、冬はマイナル15℃。だいたい中2までほっぺたが赤いのが村人の特徴

本業は二児の父親。兼業主夫。

泣いても笑っても、子どもが成人するまではあと10年たらず。全力で子どもと過ごすことを誓う。

世間知らずの田舎者

「忍野村、いいとこじゃんけ!(甲州弁)」

だいたいの人から言われる。地元は、富士山の麓、山梨県忍野村。日本一美しい富士山が見れると評価する人が多い、名水百選にもなっている自然豊かな場所。標高900mの平地で高原。冬はマイナス15℃になり、雪はあまり降らず、道路はアイスバーン。子どもたちは中学2年生くらいまで、ほっぺたが赤い状態。血の濃い地元は、村中同じ名字ばかり。三浦、渡辺、後藤、天野、大森、長田などなどが一般的。名字で呼ばれても振り向けないことが多い為、「しげ」と呼ばれている。富士山は、山梨のもの?静岡のもの?という議論は数百回経験している。

曾祖父が村長で、祖父が副村長などをしていたことから、地方自治も自然と意識した学生生活。

「未来の村長がきたぞ」

と小さいころから、近所のうどん屋のおばちゃんから言われ続けて、まんざらでもない、という態度で子ども時代を過ごしたが、実際、地方自治を志したり、活動したりは結局していない。大学が地方自治を学べる当時は珍しい地域政策学部を選べたことくらい ※結局公務員試験用にカリキュラムが揃っている感じだった

山梨県民は仲良くなるまで時間がかかり距離感が独特。仲良くなると一気に近づき、おせっかいがすごい。善意でガンガンちょっかいを出してくる地域。部外者はあまり受け入れないので、移住者を門前払い、別人種とみてしまう気質も、何となくうなずける。親戚、近所の関係が濃厚で、共通点とご縁を大切にする人情味あふれた気質の裏返しだと分析している。

亭主関白

6人姉妹の6女である母方の親戚との交流が多く、母方の従兄弟は13人中9人女子。完璧女系。マシンガントークの叔母達に揉まれて、色々女子に鍛えられた。ワイワイ楽しい女子トークが好きになったのも親戚のおかげ。一方、父方の親族(実家)は、ヤクザのような風貌(と過去実績あり)の祖父と父のもと、THE亭主関白一家。同居している嫁姑問題も子どもも板挟み、オラオラな父はある意味無言で見守る(実際どうだったかわからない)。真面目でいい子な母は一生懸命家庭を支え、耐えていたはず。今は孫ができて違った幸せを見つけたみたい。自分の選択肢で幸せや楽しいことを考える、なんていうマインドは、田舎の主婦にはないらしい。家族を置いて、100日間の世界一周に行きたい、なんていう主婦は中々いないのもわかる。

仕事終わりにお風呂に入ってから飲みに行く父、飲みに行く為に必要な洋服を一式用意する母。服が気に入らないので怒鳴る父。綿棒、水、灰皿、枕は、一歩も動かず周囲にとってくるように指示。騒がしい時、うろうろでもしたら「ちょびちょびするな!」と一蹴。今考えても理不尽でわがまま:笑

そんなマインドに、反骨精神を持って生きていた。「ああいう親、夫にはなりたくない」

と思いつつ、自分の中でもそのような気質があるんだなぁと、最近、気付く。

なんだかんだで、ペアルックのトレーナーを着たり、常に一緒に行動したり、車の送り迎えはしっかりする。車の運転も基本は父。車のナンバーは名前をもじって7050(なおこ)にしたり、ヤンキーカップルのように仲が良いように見える。幸せのカタチは人それぞれ。母が幸せなのであれば、何も言うこともない。

蛙の子は蛙。実際は父親には感謝している。が、トラウマ的に怖い:笑

忍野村、確かにいいとこじゃんね(甲州弁)

地元は経済的にも観光的にも潤っている、人口1万人ほどの大きな村。昔と今もいい意味で基本変わらない。ヒト、モノ、カネ、ジョウホウが村周辺で動いて完結している。同級生もだいたい地元に戻って基盤を作っている。東京生活14年の後、地元にUターンせず、北杜市にJターンしたことも、そんな変わらない地元にタイムスリップしてしまうイメージがあったからかも知れない。地元は大好き。まだそんな地元の地を胸張って帰れないから戻らない、というとすごく腑に落ちる。

今は、自分のこれまでの経験を「価値」として胸を張り、山梨県と移住者の中間にいる立場として、山梨県と移住者の架け橋に!と意気込む。こう思えることも、世間知らずの田舎者の特技なのかも知れない。

呪われた黄金の左足

生き神様!と呼ばれたことがあるくらい、死んでいてもおかしくない経験を経たしている。

小2でダンプカーに引かれて左足を100針縫う大けがをし4か月入院。おかげで当時は九九ができなかった:笑

当時、アンパンマンと呼ばれていた。恐れ多い。

怪我をしてもなお、柔道部(相撲部と合併)、バスケ部と、左膝を使う部活に入り、膝を酷使する。

また大学のバスケ部では左足首を骨折し、最近では娘の運動会で左のアキレス腱も断裂した。

あとはじん帯でも切れば、三冠王に輝けるはず。友人の車の助手席に乗っていて、100キロのスピードでガードレールに助手席側から突っ込んだり生きているだけですごいと思う。けど、何とかなると深くは受け止めてこなかった。

貯金ゼロ円。内定蹴って、世界一周

実際貯金は30万円あった。それは奨学金を使わなかった分。たくさんバイトしてバイト代も潤っていたがぴったり使い切り、しっかり経済に貢献し続けていた。つまりは貯金ゼロ。

当時はまだ世界一周航空券などはなく、一人旅で飛行機と陸路で1年かけて世界一周する、など今ほど主流ではなかった。欧州や南米に行くだけでも何十万円もして、どこに行きたいかも定まらない。定めない方が旅は面白いことも当時は知らなかった。家族に言っても、世界一周なんて無理だ、働け、と言われて終わる。ましてや船旅なんぞ1000万円~2000万円する飛鳥などが一般的な中、お前がいける世界一周なんてない、と言われていた。そこで、思いだしたのが、大学の先輩乗って無事帰ってきたピースボートという団体のこと。大学1年の時に大学2年生が乗ったその船の存在を知ってから、部活、バイト、学業とアッという間に4年の月日が経って忘れてしまっていた。

卒業間近大学4年の冬。公務員試験にもめでたく落選したことを契機に、乗りたい!と速攻思い資料請求。が、大学生活があと3カ月しかなく、冬のクルーズも間に合わない、お金もない。学生生活中にうまいこと乗りたいと思った甘い考えは船賃が150万円近くすることなどもあり、はかなく速攻砕け散った。

が、ボランティアスタッフという船賃が安くなる制度があるので、金銭的にはチャレンジできる。という情報を聞き、単純にも速攻やる気がみなぎってきた。

今しかできないことは何だ?内定をもらった中小企業に働いて地元に帰ることか?

いや、違う。これだ!と思い、内定を蹴り、親に反対され、船への門をたたいた22歳なりたての冬。

働くのはいつでもできる。新卒というブランドは考えず、今しかできないことを優先した。この選択は今でも間違いなかったと思っている。

年間3000人以上の人を乗せて世界に出発するピースボートは、実際ものすごい団体。ただ当時はピースボート、すごい!というより、そんなことができてしまう大学生ってすごい、やりたいことやったらいいじゃん!最強の職種じゃね?って単純に思ったから乗った。

友人からは、海賊王にでもなるかと思ったとよく言われた。果たして、チャレンジは実るのか。

ピースボートに乗りたい

その場合は、まずは無料で資料請求。

出発前にピースボートが募集しているボランティアスタッフの存在を知り、自由な時間を武器に、住み込みでボランティアを始める。

ボランティアスタッフとは、出発前、日本国内でピースボートのお手伝いに時間を費やすと、割引(ポイント)が貯まるシステムで、138万円(当時)の船賃がどんどん安くなる。29歳以下は船賃全額分の割引を貯めてOK。最短で3カ月ほどで船賃を全額貯めてしまった人もいる。船賃が貯まりやすい活動「ピースボートのポスター貼り」では、合計3500枚くらい貼ったかな。

企画「アメリカNYでピースボートのポスター貼り」に参加 ※何度も言いますが、ボランティアは出発前の活動です。

私は3カ月半で110万円分(当時は138万円だったので後一歩及ばず)。割引が貯まらないイベント活動やボランティアセンターを盛り上げる役が楽しくて割引を貯めることを忘れていた:笑

その時間は有意義だった。自分の価値が120%発揮されたと言っても過言ではない。同じ目標を持った、たくさんの同世代が不可能と言われやすい旅を実現すべくチャンレジしていた。

そんな素敵な場所では、素敵な出会いがたくさんあり、自然とかけがえのないたくさんの宝物に出会わせてくれた。船に乗らずとも、それだけでも十分なほどの体験ができた。その先にある旅は、どんなワクワクが待っているのだろうか。自分はそこで貢献できるのか。ボランティアスタッフが終わるころ(船に乗る時)には、そんなことも想像していた。

世界一周

ピースボートでは「地球一周」というフレーズを使っている。最近ではあえて「世界一周」と言っている。まだ見ぬ、想像以上の壮大な世界を、たくさんの仲間の価値観と合わせて共有。

帰国後、ご縁をいただき、NGOピースボートで働く。

家族は、「エヌジーオー?」という横文字はもとより、「団体職員?って会社員とどう違う?」「うちの息子は出世するのか?」と先輩の同僚に聞いてみたり。酔っぱらった時は「ピース何とかだが、宗教だかわからなんけど」ってなぜか愚痴ってた。

働いてから、さらに加速してたくさん世界を回り、語り続けた。

自分の夢だったことが、人の夢でもあり、それを応援することが仕事だった。世界一周をしたい、というだけで、たくさんの人生に触れることができた。

900人と南極の景色、価値感を共有

ナミブ砂漠のあるナミビアでサッカーしました

モアイ像の顔と胴体の比率には、完璧に負けました。

ケニアのマサイ族。2005年以降、ケニアに行けてない。その理由は。。。

ペルーに到着する前にラピュタを見てモチベあげました

世界遺産ノルウェーのソグネフィヨルドと愛娘とこれ以上はえないヒゲ

台湾、ベトナム、シンガポール、スリランカ、エリトリア、エジプト、ギリシャ、イタリア、モロッコ、イギリス、ノルウェー、アメリカ、ジャマイカ、コロンビア、グアテマラ、カナダ、ベトナム、シンガポール、セイシェル、ケニア、エジプト、ギリシャ、イタリア、モロッコ、カナリア諸島、キューバ、パナマ、ペルー、チリ、イースター島、タヒチ、フィジー、パプアニューギニア、香港、ベトナム、シンガポール、セイシェル、南アフリカ、南アフリカ、ナミビア、ブラジル、アルゼンチン、フォークランド諸島、アルゼンチン、南極、チリ、チリ、イースター島、タヒチ、ニュージーランド、オーストラリア、パプアニューギニア、フィリピン、マレーシア、シンガポール、インド、サウジアラビア、エジプト、トルコ、ギリシャ、ギリシャ、イタリア、スペイン、モロッコ、カナリア諸島、トリニダードトバコ、コロンビア、パナマ、ペルー、タヒチ、中国、シンガポール、タイ、スリランカ、エジプト、ギリシャ、ギリシャ、イタリア、ポルトガル、スペイン、フランス、イギリス、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、グアテマラ、パナマ、ニカラグア、グアテマラ、メキシコ、中国、シンガポール、モルディブ、モーリシャス、マダガスカル、南アフリカ、南アフリカ、ナミビア、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ペルー、イースター島、タヒチ、パプアニューギニア、韓国、台湾、那覇、長崎、釜山、ウラジオストック、ロシア、小樽、長崎、ロシア、函館、境港

書き連ねてみた。重複しているが、60カ国ほど。

訪れた場所は般若心境を唱えるように暗記しており、一緒に周った仲間の顔ははっきりと覚えている。

世界は思ったより、広くて、狭くて、多様性。

グローバルに世界一周して、世界中のローカルを見てきました。

日本で集めたユニフォームを着るケニアの子どもたち

カンボジアで地雷を埋めていた元軍人ソワンタさん。自ら地雷被害に遭った後、被害者をケアする団体を立ち上げ活動する

2018年3月末、14年間活動したピースボートを退職しました。

設立35年間のうち、たかが14年。されど14年。

これからも私とピースボートの旅は続くはず。

家族で田舎へ移住

2006年結婚、2007年第一子出産、2011年3月東日本大震災、第二子出産と

色々な人生のターニングポイントがあった。気付いて築いて、13年。

2014年あたりから、今移住した山梨県北杜市に出入りし始め、

2015年あたりから、この数年をどう生きるかを考え始め、

2017年6月、妻から単身移住を決断し、行動し始めた。

私は実際2018年3月までは「移住」に集中できず、

先に移住した妻を横目に、東京での家族3人暮らし、主夫生活、仕事の調整などに追われていた。

実際バタバタしたが、行先は隣の山梨県。

古巣だけに、もがいてもいるが、北杜市という土地のパワーに後押しされるように、

日々自分の人生が進んでいる。

人生残り50、60年。まだまだこれから!

同じような心境、環境を持った人たちと出会える場所、集まる環境を作りたい。

移住も旅も、全て大切な思いきった決断。一歩が大事。人生全てネタ。やりたいことはやる。

たくさんの人生に触れ続け、受け入れる。インプットしたことをアウトプット。伝えて、共有して、語り合う場所を作る。これが私のお届けできること。

自分の人生、たくさんの出会いがあり、価値がある経験をしているんだなぁと、移住してから気付く。

移住地には海はないが、いつでも責任を持って船出する気持ちで、人生をゆっくり歩いている。

ブログの記事、人生のネタ、備忘録

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