父と娘のアジア旅行 カンボジア編

旅をするように、移住する

旅を決断する時と、移住を決断する時は
どことなく似ていると思った。
環境を少し変えたり、変化を求めたり。

旅も移住も、決断の連続であり、チャレンジの日々。
それを楽しみながら生活していくと、生活も旅のようになるのかな。

旅をするように、生活する

カンボジアの英語の学校にて

父と娘のアジア旅行 カンボジア編

・父と娘で旅に行く喜びと意義
・タイミング
・何でカンボジアに行きたかったのか
・旅の準備、一緒にする
・旅のモチベをあげる
・荷物
・ビザ
・訪問先
・何をしたいか明確にしてクリアしていく
・お土産
・食事
・ハプニング

細かい情報は、地球の歩き方にすごくよくまとまっていたので、是非見てほしい。

父と娘で旅に行く喜びと意義

やりたいことは全部やる。
2019年が良いスタートになるよう2018年から計画していたカンボジア旅行が実現した。

人生100年時代。
あと10年もすれば娘は大人になり、自分の道を進んでいく。
今、娘といれる時間がどれだけ貴重なことか。
娘と一緒にいれる時間は、今しかない。

もちろん、毎日そんな深く思いこんで生活しているわけではない。
日々忘れてしまう。
ふとしたときに、たまに思い出す大切な事実。

娘と旅に出たい、旅に出よう。
そして何より、私がカンボジアに行きたかったんだ。

父と娘で旅に行くタイミング

いつなら娘と旅にいけるか。
いつでもいけるのは、実際小さいうちだけ:笑
小学生のうちがチャンス!
移住して1年が経ち、色々落ち着いた。
今がベスト!?
来年とか先延ばしにしても、逆にわからない。

あれ、この時期、カンボジア乾季でいい時期だ

今だ。

カンボジアに行きたかった理由

世界を回った中でTOP3に入る大好きな国だから

酸いも甘いも、たくさんの刺激をもらえた国だから

水より安い美味しいビールと、フランス・中国の歴史からくる美味しいカンボジア料理。

人は優しくハングリー精神にあふれたエネルギーある国と、大自然と真っかな夕日に映る悲しい歴史。
私が10年前にこの国で経験したことは、今でもしっかりと私の中に今でもある。


よし。カンボジアに行こう。
意外と近い!笑

旅の準備

日程決めて、飛行機取る。
パスポートを取る。職場とすり合わせする。
準備をする・・・

と、その前に、娘の同意を取らないと!

旅のモチベをあげる

パパ「パパ、カンボジア行きたいんだけどさー、一緒に行こうよ」
次女「え、飛行機乗るの?」
パパ「そうそう、パスポート取ってさ」「なんてったって料理がおいしい!」
長女「今なら学校も何とかなるし、行けそうだねー」

次女「楽しみー」

以上で終わった。順調。

久しぶりに地球の歩き方を買った。
かわいいをコンセプトにした地球の歩き方。
興味あること見ておいてねーと、それから毎日夕食の時にネタにした。

長女は一緒に世界一周に行ったこともあり、何事もなく何となく同意してくれた。
次女は何があるかあまりわかってなかったけど、ワクワクしてた。

高学年の長女は、買い物ができる、wifiある、ネイルもできる、マンゴー大好き
低学年の次女は、象に乗ること、年中プールに入れる、生春巻き、鶏肉大好き

これがわかっただけで、もうモチベは大丈夫だった。
※ただ二人とも暑さ、日焼け、虫を嫌うので、少し黙っておいた。

大量の木を摘んで移動している車

訪問先

自分が何をしたいか、どこに行きたいかをシンプルに考えた。
予定を詰めすぎたり、遺跡巡り歩き回ってばかりだと、娘達が面白くない、と思った。
自分が逆の立場だったらそう思う。

カンボジアにいる友達に会いに行く

パブストリートのど真ん中にあるSuiJoh(スイジョー)「SuiJoh」

ピースボートで出会ったカンボジア大好き過ぎる友達が、カンボジアシェムリアップに移住して、アパレルショップを運営!
カンボジア人のパートナーとも結婚している。お店で買ったものは、毎日、日本で使ってる。
サッカーボールを世界中に届けるピースボールプロジェクトで一緒に活動。かなりサッカーうまい
額田竜司(ヨンパチ)くん。

SuiJohのホームページはこちら

パブストリートの地価の高さに、、、かなりびっくりした。バブルが。。。

もう一軒、こちらはナイトマーケットの真ん中。
ピースボートに乗っていた稲元茉莉子さんがオーナーでありデザイナーをしているアパレルショップ。
Hari Hara(ハリハラ)のfacebookはこちら

ピースボートでカンボジアを訪れたことがきっかけで、帰国後カンボジアに移住。
アンコールワットをデザインにしたTシャツを、一人2枚ずつ色違いで買った。

ナイトマーケットのど真ん中にあるHar iHara(ハリハラ)

カンボジアの人に会いに行く

友達の友達は、私の友達。
すぐに受け入れてくれた。

よく笑い、よく話し合い、常にくだらないことを考えていて、よく呑む。

自宅でホームパーティ。

地元の見どころ、美味しい屋台、避暑地につれて行ってくれたり、買い物に付き合ってくれた。

繁華街の駐車場のルールとか、絶対地元の人しかわからないので
ビールの箱買い、屋台で大量に買い込んで、、、すごく頼もしかった。

若者が多いカンボジア。
人も、町も、本当にパワーがすごい。
日本にはない、このパワー。ハングリー精神。

私がカンボジアに行きたい動機は、間違いなく、10年前の訪問が大きい
少し長くなるが、私の10年前の体験を簡単に書き連ねる。

カンボジアの負の歴史

私は、10年前、ピースボートでカンボジアの地雷原を訪れた。

カンボジアと聞いてなにを連想するだろうか。
カンボジアを取り上げている映画を調べると、テーマはおおむね「地雷」「貧困」。

「キリングフィールド」、「地雷を踏んだらサヨウナラ」、「僕たちは世界を変えることができない」
もちろんまだまだ名作や遺跡のドキュメンタリーなど、興味わく映画はたくさんあるが、この3作品は上位にあがる。

カンボジアでは、内戦や植民地支配など、さまざまな歴史がある。
1970年代の行きすぎた共産原理主義

一度戦争が始まったら、、、人間の一番弱い部分が、脅威へと変わる。

世界中がカンボジアの異変に気付いた時には、もうカンボジア人の手によって、200万人ものカンボジア人が大虐殺されていた。都市部にいる人達を農村部に強制移住。反逆する可能性のある人、極端なようにも聞こえるが「メガネをかけている人」は知識人として意味なく殺された。

そんな2度と繰り返してはならない負の歴史。

カンボジアの地雷

勢力争いや市民の国外逃亡を阻止する為に埋めた地雷。
地雷はカンボジアを象徴ようなものになってしまったほど、最もくらい歴史。

カンボジア人同士の戦いで、自分たちで自分たちの土地に地雷を埋めた。
アンコールワットもかつてはボロボロになり、地雷でいっぱいだった。
600万個埋められている地雷は、ジャングルに潜む歴史ある遺跡の周りに今でもたくさん埋まっている。

一度埋めたら、残り続ける。
土地にも、心にも残り続ける。

どこかに地雷があるかも知れない。
それは誰も知らないことだが、ずっと恐怖と隣り合わせの生活をしないとならない悪魔の兵器。
地雷の被害は、関係のない市民や子ども、除去をする隊員達。
安く大量に作られ、不特定多数の人が無差別に被害に合い続ける地雷。

この非人道的な兵器を失くす為の活動をピースボートで20年以上続けている。

ピースボート地雷廃絶キャンペーンのホームページはこちら

カンボジアの地雷原を歩いて

10年前に参加したこの地雷検証ツアーは、日本国内で街頭募金を続け、集まった募金を届けることが一つの目的だった。

大宮駅前

ただ、実際にカンボジアを訪れた衝撃は、自分の想像をはるかに超えるものだった。

地雷原を歩く時

「何かあっても自己責任で地雷原に入ります」という内容の誓約書にサインをする。

緊張が走る。

「それではついてきてください」

と地雷除去隊員に先導されながら地雷原を歩く。

「この一本道は、地雷を除去したばかりの道だから大丈夫」

と言われるが、どこにどれだけの地雷が埋まっているかわからないし、埋まっていないという確証はない。
ましてや、地雷除去は、全て人の手作業で1つ1つ撤去されている作業を見たばかりで、益々不安になった。

人生で初めて
1歩1歩、慎重に、踏みしめながら歩いた。
これだけ重たい1歩はなかった。

年中30℃を超える亜熱帯地域のカンボジアは
カラッとしながらも降り注ぐ日差しが痛いほど。

真夏なのに、初めて冷や汗をかいた。
汗が背中をツーっと流れ落ちたことを、今でもはっきり覚えている。

その先にあるのは、本物の地雷
ゆっくり丁寧に手作業で掘り出した地雷

ぞっとした。
のどが渇く中、少ない生唾を思いっきりのみこんだ。

そのあと、撤去した地雷を爆発する現場にも立ち会った。
500~1キロほど離れて、電気を送り、爆発させる。

爆風と爆音。
この爆発を見た後には、地雷原には入れなかっただろう。

150年かけて地雷を撤去しないとならないという隊員達
そして、地雷の横で生活している人達。
地雷の被害にあって、苦しみ、葛藤している人達。

「地雷問題」は、地雷を失くすことはもちろんだが、そのあとの人生にまで重くのしかかる。
その家族もだ。

自分たちが街頭募金をして声を出していた時の想像を、はるかに超える衝撃とショック。
そして脱力感。ただ、私たちは、見てきたことを、伝えることができる。
ただただ、その気持ちで、カンボジアのことをゆっくりと消化し、自分に落とし込んでいた。

自ら地雷を埋めていた元軍人のソワンタさん。今は被害者を支援する団体を運営し、戦争や地雷の恐ろしさを伝えている。

娘と行く地雷検証ツアー

私たちがカンボジアを訪れたのは、「解放記念日」にあたる日であり
40年の節目になる時だった。

まさかこのようなタイミングだとは思いもせず、驚いたが、益々、伝える意味があると思えた。
少し遠方にある大きな団体を訪ねて、地雷原を訪問する計画も立ててみたが、シェムリアップ近郊で伝えることに専念した。

インプットが多かったと思うが、実際に見て、感じて、どう思ったか、それをどうアウトプットし続けるか
アウトプットし続ける限り旅は続き、自分の中で語り継げることで本当の経験になる。

キリングフィールド、戦争ミュージアム

かなりの時差はあるが、娘達の夏休みの研究課題が「カンボジア」の予定。
子どもたちの凄いところは、写真や動画を見なくても、細かいところまで鮮明に覚えていること。
ただ、語り続けないといつかは薄れていく。

我が家のトイレには、旅のアルバムが置いてあり、来客がきたら話しのネタにして、子どもたちにインタビューしている。
子どもたちの記憶や経験したことは、私たち大人が思うことよりも素直で、本物だった。

ビチェットさん会いに行く

10年前、カンボジアで出会った通訳ガイドのビチェットさん。
日本語は私より上手。現地をずっと案内して、一緒に地雷について考えた。

お別れのバスの中で、森山良子の「今日の日はさよなら」をうたってくれた。

いろんな想いが複雑に絡み合い、森山良子さんの「今日の日はさよなら」を聞いて、私は人前で号泣した

私たちが帰国後、日本に来たことがないというビチェットさんを招待し、受け入れになった。
埼京線の朝通勤ラッシュも経験:笑

三浦家でホームステイ

それからも付き合いは続き、今の時代facebookで連絡を取り合え、カンボジアで再会した。

いつまでも 絶えることなく 友達でいよう 明日(あす)の日を 夢みて 希望の道を 空を飛ぶ 鳥のように 自由に生きる 今日の日は さようなら また逢う日まで 信じあう よろこびを 大切にしよう
今日の日は さようなら また逢う日まで また逢う日まで

シンプルで大事な曲。

子どもがカンボジアでやりたいこと

カンボジアの旅はまだまだ続く。

予定を詰めすぎないをテーマにゆっくりと過ごした。
どこに行くにも、トゥクトゥクに乗った。
買い物、wifiある、ネイル、マンゴー、象、プール、生春巻き、鶏肉、などなど。
色々やった

ドルやカンボジアのリエルの入ったお年玉

少し遅いお年玉で、お買いもの

プールは毎日入ったかな。

虫食べたり、ゆで卵の中身がひよ子だったり。。。

長女は毎日マンゴー
私はビール、麦酒、ビール・・・

象による交通渋滞も。

親子でアンコール・ワット、アンコール・トム、タ・プローム

子どもにとっては遺跡は興味ない。
元々そこまで遺跡巡りはメインにしていない。ちょこっと遺跡が見れれば良い。

朝早起きして、眠かっただろうに。真っ暗でライトが本当に役にたった。

長女の写真センスがいい!笑
さすが。

朝も緩く、昼までダラとしていた日もあった。
夜はご飯食べに出歩くが、夜の町は刺激的だったかな。

フランスや中国の植民地の歴史もあり、、、カンボジア料理は本当に大好き。
お水はやはり、山梨県の天然水が、一番おいしいや。

カンボジアの荷物

ということで、荷物リストを作っていたことを思い出したので、掲載する。
1週間ほどの旅で、小6、小1の娘の荷物なんて量は大したことなかったが、
日本(特に山梨県北杜市)が寒い冬だったので、荷物がかさばらないか、工夫した。

下記、当時書いたメモ。

<冬の荷物>
・冬服
(一日分だけ東京に持っていき、成田ロッカーに預ける)
・狩猟免許のテキスト(狩猟試験のテスト前だった)
・冬休みの宿題(飛行機の中で終わらせる)

<荷物>
【貴重品、必需品】
◆パスポート  ◆パスポートコピー →コピー  ◆E-チケットコピー
◇ホテルの名前、住所  ◇海外旅行保険 →加入する 
◇日本円 →銀行から引き落とす
◆財布 →カードなど中身を減らす、厳選  ◆米ドル →両替、いくらする?
◆クレジットカード   ◇クレジットカード紛失時の連絡先
◆携帯電話  ◆現地の携帯電話→友人より借りれることになった
◇車の鍵  ◆充電器、ソーラーバッテリー
◆ビザ用顔写真(4×6) →現地で撮る ◆ビザ用30ドル
◆ガイドブック  ◆英語の本  ◆カメラ、充電器

【バック】
◇スーツケース大  ◆スーツケース小  ◆リュック×3 ◆お出かけバック×3

【服】
◇Tシャツ →何日分(現地で買う?現地で洗濯手洗い)  ◇長袖(日差し、虫対策)
◆カーディガン(冷房対策)  ◇ストール現地で  ◇長ズボン
◇半ズボン  ◇靴下   ◇パンツ、シャツ  ◇パジャマ(おねしょ用)
◆スニーカー  ◇サンダル(現地で買う?)  ◆タオル、手ぬぐい
◆帽子  ◇サングラス  ◇雨具 ◆ゴム、くし 

【日用品】
◆虫よけ(機内持ち込み) ◇虫刺されクリーム
◆バンドエイド系  ◆日焼け止め  ◇シャンプー、リンス、せっけん、100ml以下
◆長女メイク道具  ◆歯ブラシ、歯磨き粉(機内持ち込み)
◇ティッシュ(ポケット&トイレロール)  ◆ウェットティッシュ
◇ジップロック 20センチ四方  ◇エコバック  ◆機内で寝れる枕(ほぼ使わず)
◆アイマスク  ◆筆記用具   ◆懐中電灯(かなり役に立った)

【娯楽】
◇水着 ◇ゴーグル ◇浮輪 ◇双眼鏡(サンタさんからもらった)

・ビザ

注目は、「長女メイク道具」である。

カンボジアでのハプニング

旅にハプニングはつきもの。
ハプニングの方が良く覚えているものだ。
旅を彩る調味料。

・パパ、ダウン
アンコールワットに行った3日目の午後に、謎の高熱。
体温が40度まであがる。。。暑いのに寒気が。。。
慣れないエアコンか。3日目は大事を取って昼から爆睡。
汗を出し熱を出し切り、翌日朝には36度まで熱が下がった!
4日目の朝は、ふらふらしてたが何とか復活。

・次女ダウン
帰国する前日に次女も熱があがる。

・パパ、肩が上がらなくなる

色々ありましたが、元気に楽しく過ごしました。

帰国時も少し熱があり、空港のセンサーで止められたが、何事もなく、何とか無事帰宅。
出発も早朝、アンコールワットも早朝、帰りのフライトも夜遅め(乗り換えあり)。
その点、ハードだったね。

山梨県北杜市は氷点下。
気温差40度!

お疲れ様!

カンボジアのお土産

お土産は色々買ったが、一番思い出に残っているのは

「ペンギンの枕」

夜の市場で一生懸命探して、選んだ一品。ペンギンが大好きらしい。

大きくてスーツケースに入らなかったが、弾力性もあり、寝心地抜群。
機内でも早速使ったり、今でも毎日使っている。

夏休みの宿題

ということで、インプットしたらアウトプット。
そして旅は、語り続けることで、確実な記憶になっていく

夏休みの課題にでもしてみる?
と提案してみたら、やりたい!とのことなので、早速写真と、チケット、レシートなどを確保。

簡単な絵日記のようなものだが、今でもカンボジアを夕食の時のネタにして
思い出をインタビューしている。

また旅に出ようねー

NGOピースボート、退職しますの記事はこちら

つぶらな瞳に大きな顔。
頭回りは61.5㎝

4 件のコメント

  • 僕の奥さんもシェムリアップによく通っていたようです。

    • やぶうちしゅうすいさま。奥さんと一度会ってお話してみたいものですね。ご無沙汰してます!

  • 私78歳後期高齢者
    私の住いの近所の青年がカンボジアに移住するとの事を、風の便りにりに聞きカンボジアとはどんな国かとpcを開けたところこの旅の記事を拝読しました、楽しそうな記事写真を見せて頂きました。ありがとうございます。
    そこでビックリ帰宅した駅が穴山ではないか、私は小さいころ夏休みになると境ノ沢の叔父の所に入り浸り東京では食べられないもろこし・おざらなど腹いっぱい食べた記憶が思い出されます。いまでも穴山から歩いて叔父の実家に行きたく体調を整えたいと思っております。
    とつぜんですが懐かしくお便りを差し上げました。 悪しからず

    • お返事が遅くなり大変失礼しました。なんとも奇遇なエピソードで、こちががうれしく思います。ありがとうございました。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    30代・二児の新米主夫。田舎に生まれ育ち、世界一周、国際協力を経て、山梨県北杜市に家族で移住。転職、ゼロからのスタート。念のためJターン。目的を持った人が集まる場所作り計画中。生き方を振り返る記録や自己紹介になるブログ。都会から田舎への移住生活、田舎暮らし、農的暮らし、旅、家族について書き連ねる。 #山梨県 #北杜市 #移住 #家族 #子育て #世界一周 #田舎暮らし #農業 #くだらない写真 #農的暮らし #家族 #主夫#世界一周 #旅