三浦家妻です。
移住するきっかけ 「子どもへの説明」
移住することを、子どもになんて伝えよう
私たちにはこどもが二人、2018年4月から6年生と1年生になる娘がいます。
引っ越すにあたり、よくいわれることがあります。
子どもたちが大きくなると転校とか大変だね。
転校になるのかわいそうだよね。
ちゃんと理解してくれた?
など、
まず、三浦家にとっては北杜への引っ越しのために、2段階の説明が必要だった。
1つは、私が単身で行く時。
2つは、家族での引っ越しの時。
最終目標を説明したうえで、彼女たちに(おもに長女だけど・・・)どういうことが可能かを説明した。
もし行きたくないもしくは、東京の小学校で卒業したければ、叔母の家に相談して通わせてもらうことができる。
それ以外にも友人宅へ住まわせてまらって通うこともできる。
など。
私にとってこの作業を重要視していた。
大きな理由は2つ。
何事も、私たちが決めたこと!といって進んでしまうことや、説明がないことに違和感があったこと。
と、彼女たちの人生なので、自分で決めた!という責任を持ってほしかったこと。
周りの人たちに聞かれたときにいつもこのことを話していたけど、ママ偉いねってなんども言われた。
これがえらいっていうのか。わたしとは少し常識が違うらしい。
こういうことって、簡単なようで難しい。
でも・・・難しいようで簡単。な気がするんだけどなぁ~
最近になって子供のために良かれとか、これをしたら子供がどう思うかを私はそんなに考えなくなった。
それは、子供のことを思っていないとかではなく、私が懸念したところで、不安に思ったところで、心配したところで、結局受け取ってどう感じるかは彼女たちなのだから。
なんか余計な労力であり、期待になり勝手に失望したりしなくてはならなくなる。
そんで期待を裏切られたとかなり負のスパイラルな気がする。
お互いが受け入れあえる夫婦や親子関係であることが必要と思う。
自分の人生だから思い切り自己責任で生きてほしい!!!
それを受け入れることができたら、多少のことでは動じなくなるんだろう。
私もそう在りたい。
こうして引っ越すにあたり、わたしなりに彼女たち目線と自分目線で考えてきた。
だから、どんなことがあってもあまりあたふたすることはないのでしょうね。
なんたって、なるようにしかならないからね。
そんでもってなんとかなるからね。
素晴らしき未来のために今を生きよう、です!!!
環境が変わり、いろんな流れが変わります。
移住するきっかけ 「自分のココロ」
震災後の1.2年はほんと自分の中でもがきながら渦の中をぐるぐるしていたんだと思う。
渦の中にいると、それが永遠に続いてしまうのではとおもうけど、上から見たら変化もなくただの渦の中だけれど、横から見ると上昇していることが今になるとわかる。
今自分のいる位置がどんなところなのかを自分で客観視できる自分であること、今自分が何を求めているかを感じることって大事。
とはいえ、何か外に原因を見つけ、自分が作り出した想いに目を向けられなくなってしまうのも事実で、
子育てしていることの言い訳、仕事のストレスを自分のいいようにとらえてしまう。
そんなことをぼんやり思ううちに、震災以降のライフスタイルを変えたい、変えなきゃならないう焦りや不安を抱いては感情の起伏の激しい日々、
夫婦喧嘩の絶えない日々になっていたように思う。
2011年以前、東京でなければ暮らしていけないと思っていた自分。
経済を回すことが全ての幸せを作り出すと思っていた自分。
幸せはモノで満たされると思っていた自分。
こんな想いの半面、どこかでそうではないと感じていた自分がいたからこそ、
こうして震災をきっかけにライフスタイルや自分の感情と向き合うことが出来たのだと思う。
とはいえ・・・・
感情的になり、「東京を出たい!!」「安心な場所で生活したい」と求めるばかり。
夫には、「そんな状況で移住をしたら、絶対に失敗する!」と一喝された。
この言葉は私にとって衝撃とストレスでしかなかった。
受け入れることが出来なかった。受け入れたくなかった。
その理由をあげてみた。
・子供の命が大切ではないのか?
・汚染された場所で不安をかかえていきていくのが健康的だと思うのか?
・家族が幸せで暮らすことがなぜ悪いのか。
・私の気持ちをなぜくみ取ってくれないのか。
とざっくりこんな感じだったかと思う。
夫は、「ネガティブな状況からは何も生まれない」という一言だった。
当時の私にとってこの言葉を理解することが出来ずに悶々とした日々を過ごしていた。
でも、言い訳をする日々だけではだめだと思い、自分が今出来る行動にシフトすることにした。
具体的に・・・
なぜ今の場所から生活の場を変えるのか。
どんな暮らしがしたいのか。
どこで暮らしたいのか。
などお互いの理想となるものをすりあわせたりした。
私たち夫婦は山梨と茨城が出身。
当時は出来るだけ西日本がよいのではという想いもあったので、四国・九州と旅行がてら自分たちの理想となる場所を見たりしていた。
日本全国どこにいっても原発は近い、九州に行けばPM2.5など環境に対して不平を言っては悩んだり言い訳をしていたように思う。
いったいどこにいれば安全なのだろう・・・・
不安はいったい消えるのだろうか。
そんなことばかり・・・
だけれど、ずっと敬遠していた夫の地元である“山梨”に目を向けてみた。
大きいくくりで夫の地元であることと、私にとっても、父親が数年間単身赴任をしていた土地でもあり、
第二の故郷的な要素があったため、山梨で探してみようと思い、いくつかの場所をみて回ったり、訪れたりするようになった。
その中で“北杜市”という場所に行きついた。
私の中で、限界集落への移住や過疎地への移住が目的ではなく、生きやすく、住みやすく、自然が豊かであることに重きをおいていたので、とても惹かれる何かがあった。
これは言葉で説明するには本当に難しいくらい感覚的なものであるのだと思う。
そこに行きついたのが2014年の夏。
またまたそこから、自分たちがどうしたいか、何が出来るかを考え、話し合う日々、話し合わない日々が続いた。
一人の事ではなく、夫婦の事でもあり、家族の事であり、自分の事である。この3点をどうすり合わせていくのかという事。
時間はかかってしまったけれど、動き出すという事がどれだけ大事かを教えられ、動き出したタイミングが全ての最良な時期なのだということ。
何をするのか、どうしたいかという事も大切なことだけど、今ここの自分をどう生きているかで流れが変わってくるものだという事を感じる。
一時期は自然の多い場所で土に触れる生活が・・・とか色々と思案した時期もあったけれど、
今は、自分の心の在り方がどうであるかという事の方が私にとって大切だなぁなんて思う。
(これは私が北杜市に単身移住してから思ったこと)
何やかんやで、北杜市に足を運ぶことが多くなり本格的にここにしようと決めて、動き始めたようなそうでもないような。
夫婦ともども、これ!!!という生き方が定まらないこともかなり大きな要素ですけどね(^^;
私は、家族が来るための準備という名目で2017年6月に単身で移住をして、農業大学校に通いはじめた。
2017年6月から12月までは私の人生にとってとても大切な半年間であり、必要な人との出会いや、自分自身の在り方を
見つめるとても貴重な時間となった。
私が家族と離れて過ごすこと、夫が背中押してくれたこと、子供たちがすんなりと受け入れてくれること。
全てが私にとって必要な出来事。
こうなると決まっていたこと。
時間はかかったのかかかっていないのかは判断する必要もなく、これが私たちの最善の状況となるのでしょうね。
そして、2018年春から八ヶ岳南麓での家族との生活が始まる
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