家族で田舎へ移住しました

移住にあたり、家族に懺悔と感謝を述べます。

わたくし、新米父(2月28日生まれ)は、、、

※注:何度も言いますが、うるう年生まれではありませんよ

家族で田舎へ移住しました

検索してみると

移住、田舎暮らし、田舎移住体験、田舎移住失敗、移住家族の理解、移住支援。。。

家族で移住と調べると

家族 移住 仕事 転職 職人

とこんな感想がほとんど。このブログは「家族の記録」。そして「自分の記録」。

移住に関して紆余曲折ありますが、私の素直な心境を書き連ねるとします。

2018年4月1日から本格スタート

※注:何度か言われそうですが、エイプリルフールではありませんよ

人はなぜ、移住を決断するのか。

ひとそれぞれ。環境を変えることに面白みを感じたり、変化を求めているから、または将来をかけてみたいから。私と妻はその点から少し違っていた。違っていいと思っていたし、家族で作って行こうということだけが合致して決断につながったので、良いと思っていた。まずは同意をして、ひき戻ってこないようにしようね、ということは、世間でもネタとしてよくあがってくる。

ただそこには配慮、愛情、理解する気持ちが足りてなかった。これまで経験した岐路、そして今回の決断も、自分、家族の信じる道を尊重して、自分で決めた。ただ間違いなく、そこには必ずキーマンがいて、自分なりのこだわりがあった。妻であり、家族のおかげ。たくさんのきっかけに感謝でしかない。

14年間。人生の半分近くの歳月を東京あたりで過ごし自分という人間を語る上で、単なる月日だけでは測れないほど、濃厚な歳月だった。素敵な大人との出会いによって、人生を選択できたと言っても過言ではありません。くだらないことを本気で笑いあえる仲間も欠かない。

ブログ「NGOピースボート、退職します」参照

移住先は「山梨県 北杜(ほくと)市」

※注:何度も聞かれそうなのでお伝えしておくと、実家(山梨県忍野村)ではありません。

諸説あるが、日本の中心・山梨県の端っこ(長野県との県境)。小淵沢、清里、富士見町、原村、諏訪などが近い。

いよいよ、2018年3月末、家族4人で引っ越しました。引っ越しはもう少し早く完了していました。

判断基準は人それぞれですが、

何と、山梨県北杜市は

<2018年版住みたい田舎ベストランキングNO1(小さな町部門)>

に君臨!山梨県民の意見としても、「北杜市」は合併してできた市。学生の時は、「巨摩郡」などだった印象。8つの町が一緒になって、それぞれの地域性、文化も違う。面積は広く、人もバラバラと住んでいる。別荘地でもあり、2拠点居住地で東京の人なども「夏だけ」別荘住まいなどを楽しんでいる。ちなみに冬は極寒。高低差のある北杜市は、白州、武川と大泉あたりは20~30分車を走るだけで標高が400メートルは変わる。ずっと登り道で、アクセル全開。

地元忍野村は確かに標高は高いが、平地なので移動が大変。ガソリンもくう。

私はこう見えて、田舎者

よく言われます。世間知らずの田舎者だと。おまけにトゲのあること、思ったことをすぐ言ってしまう。相手はたまったもんではない。。。

昔からの風習、土地柄、富士山をはじめとした地域資源、自然、観光などで潤う地元・忍野村。

保育園の園章が富士山

保育園、小、中、高校と「村のエスカレーター式」で育った。

恋愛は自分からはあまり行かず、友達から「あいつ、お前のこと好きらしいよ」という受け身姿勢。近所、村の団結が強く、親戚はグイグイ系の女系、やさしさとおせっかいの塊の祖母と母を煙たがる内弁慶な長男として、甘えて育った。素直にありがとうも、ごめんなさいも言えない。

泣く子も黙る祖父と父は、仕事のこと、生き方のことなど、今でもまともな会話はできず、避けて続けています。いつか、胸を張って説明できる時に、話せる日を夢見ています。最近は、トラウマか?と思うくらい自分の幼少期のことを考える。仕事、両親の存在を再確認し、認めて、進むしかないようだ。

父と祖父

冬でもTシャツで過ごす(もちろん室内限定)ほど、代謝が良く、小学校2年生の時にダンプカーにひかれてから、34歳でアキレス腱を断裂するまで、大した病気も、怪我もなく、元気に生きている。

2018年版住みたい田舎ベストランキングNO1(小さな町部門)

両親には丈夫な体に育ててくれて感謝。元気だけが取り柄。

移住すると「腹をくくった」時

いつですか?と聞かれることがあるが、「今」というのが素直な答え。

ようやく本気で向き合うことができた。

数日のこと。そして、この2週間は色々あり、正直苦しかった。

転職、引っ越し、家族、ゼロからのスタート。生きていく力はまだまだ乏しく、不安がないわけではありません。若いから大丈夫だよ、たくさんの仕事をしたらいいよ。という言葉。腹をくくった時の自分を信じて進むことはできる。ということを大切にして進みます。

全てに感謝と感動を、楽しいと思うことを勧めていき、社会に貢献していけないか模索中。

北杜市にて新生活。2018年3月26日(月)の朝

移住を考えたきっかけ

夫婦で一致する考え方が根本から覆ったきっかけは、2011年3月11日東日本大震災。私はその時、家族3人と離れモロッコにいた。帰国したのはその1カ月半後。何もできず、残した妻と子達はそこから「絶望」でした。福島原発事故は、7年たった今でも復興というより「事故処理」状態。

7年前、子どもの健康、食に関して本気で行動してくれた妻のパワーに後押しされながら、出口のない迷路、正解のない生き方に翻弄されながら、ただ目の前のことに力を注ぎ、この7年間生きてきた。自分は、仕事=災害支援=保養支援であって突き進んでいたが、特に妻は本当に辛かったと思う。障がい者施設に勤めたあと、社会派出版社に勤務し、妻も気付きと行動が多くなり、タイミングとご縁を大切にした結果、今回の移住を決断するきっかけになった。もう少し早く移住するかどうかも話し合いになったが、全てがご縁。

7年という歳月をかけたことで、今があると思う。

田舎者である私の憧れの都市・東京は、今でも魅力を発見し続け、満員電車もアトラクションのように新鮮に楽しんでいた。私自身、東京での仕事、人、子ども環境は、慣れ親しみ、そして本気に取り組んでいた。魂が揺さぶられる生き方は職場であり、人生でもありました。

そんな中、私は、前職の仕事が終わらないと、言い訳を繰り返し、先に移住することを決断した妻に何かをかけて押しつけていた。結果、全てを任せて、甘えて、逃げている自分がいた。自分がどんな人間なのかも、今でも逃げている。妻は、一人で先遣隊として決断してくれ、基盤を作ってくれた。当時も今も助けてあげることもできなった。妻は、今、全力で魂が喜ぶポジティブなことを追及し始めている。全速力で早く共感し合いたいと思いつつ、まだまだ追いつけない。

不甲斐ない夫だが、理解する気持ち、求めて、頼って、コミュニケーションをとっていきたいと願う今日この頃。まずは、自分に、地域に、人に、そして何より家族に、時間と心に余裕を持って、しっかり愛していきたい。家族と笑顔で一緒にいたい。これが今一番やりたいこと。

なんで妻と、家族と一緒にいたいのか、自分が何が貢献できるのか。

全ては必然。必要なこと、なるようになると妻はよく言う。

自分が存在し続ける為に、走り始めるとする。これからが全てのスタート。

感情によって人は成長するそう。愛情というかけがえのないものを、見つめなおしています。

▼ブログ「妻、単身赴任はじめました」参照

子どもには田舎を楽しもう、とは話していない。既に勝手に楽しんでるように見えるが、環境の変化は大きい。

4月からの新1年生の次女。新入生は3名。長女は小学校6でクラスメイトは7名。

しかもこの1年で廃校、来年は統合され別の小学校にいく予定。これも中々経験できることではないが、どんな心境だろうか。親が心配するよりも、子どもははるかにたくましい。隣に寄り添って行く。

背伸びせず、伸び伸びと。かっこいいと思える大人と出会うまでは、子どものままで。親もその昔は子ども。背中を見せれる大人になれるように努める。

ありがとう。これから、引き続きよろしくお願いします。

今後の。。。

ひとまず、すぐにできそうなことがたくさんある。4月1日からはさっそく働きます。ちょいと忙しくなる。家族の時間を持てるように追求します。

一端、地に足付ける為、行政に近い場所で活動します。農村都市交流の団体にお世話なり、農業研修のコーディネート、受け入れ、アテンドなど全般的に行う予定。農に遠かった自分にとって、日々修業で断食のようにクリエイティブな脳みそにしていきます。NPO法人えがおつなげてのホームページはこちら。

妻は、自分に正直に、半農半X。空家などを探してセラピーなどを計画中。

妻は、半農半Xを追及中

実家は山梨県・富士山の麓ですが引っ越し先は実家からは遠い、長野県寄りの山梨県

八ヶ岳、南アルプスの麓。

八ヶ岳

 実家同様、標高900mありますが、今後も半そでで生活していく予定。
新宿からで一本でこれます是非、夏に遊びにいらしてください
電車:中央線、特急あずさ、かいじ、
車:中央道。
小淵沢までこれれば時間は短縮。甲府駅から鈍行でも良いです!
連休の夜にでも来てください。

かいじ、あずさで爆睡。山梨県へ

 自分の人生に、責任を持って最後までやりきるという精神は、前職で学んだ。
今後、自分はどんな「船」を出すのか。
移住、田舎暮らし、田舎移住体験、田舎移住失敗、移住家族の理解、移住支援。。。
家族 移住 仕事 転職 職人
これらの単語は、意識次第。
そう思ったら、実現してしまうワード。
大切なことを守っていく。

このブログ

実はブログは2017年1月から開設しているが、ほぼ周りにお知らせできていない。冒頭でも申し上げたが、このブログは家族の記録、自分の記録であり、これまでお世話になったみなさまに、アウトプットにもなればと思います。

今後とも三浦家をよろしくお願いします。

つぶらな瞳に大きな顔。
頭回りは61.5㎝

9 件のコメント

  • 茂ちゃん
    びっくりしました❗
    北杜市高根に友人が別荘体験宿泊施設を経営しており、家族ぐるみの付き合いで年2回ほど高根に行っています
    今度は高根で、茂ちゃんファミリーに会えるかな❗

  • 突然のご連絡申し訳ありません。私、日本テレビの「スッキリ」という番組を担当しています半井(はんい)と申します。この度、当番組で「北杜市が住みやすい町ランキング1位」になったことを受け、取材を行うことになりました。そこで、移住した方々にインタビューを行いたいと考えておりますのでご連絡した次第です。
    こちらの勝手な都合で申し訳ありませんが、直接お話しをしたいと思いますので下記の電話番号までご連絡いただけると幸いです。
    何卒、よろしくお願い致します。
    08016986964

    • はい。是非!お願いします。明日の夜などであれば電話も受けれると思います。

  • 茂さん!ご無沙汰してます。
    Instagramのフォローありがとうございます。
    ピースボート内では田舎への移住が流行ってるんですか?(笑)
    この4月から高田馬場で働くことになりまして
    飲みに行きましょうって連絡しようと思っていたのに、もうピーセン東京にはいないんですね。
    祖父母宅が甲府と山梨市なので、そのついでに会いに行きますね!!

  • はじめまして。旦那と0歳の息子と、北杜市への移住を考えているものです。
    検索をしていて、三浦さんのブログを見つけました。

    是非詳しいお話を聞きたいと思ったのですが、可能でしょうか。
    もし可能であれば、どのような手段でご連絡するのがスムーズか、お教えいただけると嬉しいです。

    急ぎではありませんので、お時間あればお返事いただけると幸いです!
    どうぞよろしくお願い致します。

  • こんにちは。現在、東京在住で旦那と0歳の息子と北杜市への移住を考えています。
    いくつか北杜市への移住についてお伺いしたいことがあるのですが、お答えいただくことは可能でしょうか。
    その場合、どのご連絡手段が一番スムーズにやりとりできますでしょうか?

    お忙しいところすみません、急ぎではありませんのでご返信をいただけますと嬉しいです!

    • お返事遅くなり失礼しました。インスタでの連絡いただきましたか?引き続き、そちらでお願いします。ありがとうございます。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    30代・二児の新米主夫。田舎に生まれ育ち、世界一周、国際協力を経て、山梨県北杜市に家族で移住。転職、ゼロからのスタート。念のためJターン。目的を持った人が集まる場所作り計画中。生き方を振り返る記録や自己紹介になるブログ。都会から田舎への移住生活、田舎暮らし、農的暮らし、旅、家族について書き連ねる。 #山梨県 #北杜市 #移住 #家族 #子育て #世界一周 #田舎暮らし #農業 #くだらない写真 #農的暮らし #家族 #主夫#世界一周 #旅