世の中の人はどうやって❝仕事❞を選ぶのだろうか

いつも私の中で気になることの一つである。

 

1980年代生まれの自分にとっては、バブル全盛期が自分の親世代が働き盛りのど真ん中だったと思う。

そして、私が10歳の頃にバルブが崩壊の時期となったようである。

バブル全盛期とは、お立ち台で踊り狂う女子たちの総称と小さい時に感じていた。

「この人達、楽しいのか?」と小さいながらに感じていた気がする。

しかし。我が家ももちろん好景気だったような気はする。(今思えばであるが・・・・)

 

そんな時代を仕事人生真っ盛りで過ごして来た方と、バブル崩壊後に働くことになった世代では「働く」というイメージが違うだろうし、違うに違いない!!

過去、歴史にあまり興味がわかない自分がいるのだが、自分の親の働く姿をみて、様々なことを学んでいる。

私の父親は誰もが知る、大手企業に勤め、朝は早くから満員電車に揺られ、一時間以上かけて、日本の経済の中心部とされる場所へ通勤していた。

私が過ごした地域は、「ベッドタウン」「ニュータウン」として、新しい家がバンバンできていた。

そんな時代だったんですね。

(今やそんな家たちも中古物件として空きが出ていたりするとなんだか切なさも感じたり・・・)

 

父親に関しても、夜なかなか遅い時間にかえって来ていたなぁ~(遠い目・・・・)

それでも、父親の口から、「仕事の愚痴」なるものを聞いたことがない。

ただ、父親がどうしてその会社選んで勤めて、そして、どんな目的で働いてるのかは聞いたことがないので、いつか機会があれば聞いてみようと思う。

仕事の愚痴をこぼさないということは、すごいことだと今、大人になった自分は大いに感じていることではある。

 

 私の仕事選び方

今まで30年ほど生きてきて、頭がよく、いい学校に行き、お金持ちであり、よい会社に勤めることが、世間一般的に良いという風潮で育ってきた。

「○○さんちの○○ちゃんは、すごいのよ!!!」

「○○ちゃん、有名な○○企業に就職したんだって!」というような会話が家族の中で飛び交うこともあったから、そうでない自分は一体・・・・と子どもながらに劣等感にさいなまれていた記憶が蘇ってきた。

常に劣等感と隣合わせな私は大学にいき、卒業直前、就職に戸惑った。

いい企業に勤められるわけもなく、特に努力もせず、ただただ、悶々としてた気がする。

 

とにもかくにも、初めての就職は、派遣会社の派遣社員で銀行に配属された。やると決まればやる性格ではあるので、小さな小さなやりがいもありつつ過ごしていた。

このときは、半年で「寿退社」をしました。(笑)

さて、このとき、長女出産のため、働かず、子供を見るという選択肢しか選ぶことができなかった。

出来なかった理由は私がすべてにおいて無知であったためである。

 

 結婚したら、夫が稼いでくればいいに決まっている!!!

子どもと妻のために働いてお金たくさん稼いでくるのは当たり前

と、簡単に言うとこんな感じです。

その中には、子育てをしながら働くことの不安と恐怖もあったが・・・

しかし、共働きを選ばなければ暮らしていくことがほぼその当時は不可能だったため、長女が1才の時から仕事を始め、

2007年~現在まで

  1. 障害のある人が働く「福祉作業所」での指導員 ≪勤務年数:6年≫
  2. 社会派の編集社での事務 ≪勤務年数:2年半≫

2つの仕事を経験。

 

どちらも社会的にはとても意義のある仕事であること。

これが私の仕事の選び方だった。

 

 身を粉にして働くことがいいことなのだろうか・・・

働くって、責任も伴うし、中途半端はよくない。

とにかくやろう!!!みたいな勢いも必要だと思うし、臨機応変さも必要。

出版社で勤めてた2年半は私の「人生の大きな道しるべ」になったと、辞める直前だからこそ、穏やかな心で言うことができる。

入社した時は、人生の中で、残業して夜遅くまで仕事を経験するというのも楽しい!とも思っていたこともあった。

それだけ、会社に対して、強いては、雑誌に対する期待もあったし、必要性も感じていたから、とにかく頑張った。

社長がどんなに理不尽でも、怒鳴り散らしても、だらしなくても、とにかく耐えた。

が、ある時、会社(社長が)全責任を私にに押し付けてきたことがあった。

中間管理職のいない会社で一人ひとりが責任をもって仕事する事は自由でありながら、かなりのリスクがあり限界があると感じていたことが、まさに現実になってしまった瞬間だった。

「過労死」が取り上げられると必ず問題に上がることだと思うが、

「誰か本当に助けてくれる人はいなかったのだろうか・・・・」

ということ。

これに対して、誰かはいる気がする。

が、私の答えである。

しかし、自分自身がヘルプを出すか出さないかの問題であるような気がする。

 

私自身は会社にも家族にもヘルプを出しているような気もするが、届かず。

身体も心も限界が来た。

首、肩、腰、背中、すべてに痛みを伴い、休日子どもたちとでかけることさえ億劫になっていた時期がある。

それに、子供たちがうっとおしくて、気力も完全に「無」だった。

そこまでして、働くって一体なのかと、常に思考した。

その時の私は幸せだったのだろうか・・・・

いや、全くそんなことを考える余裕がなかった。

 

仕事(会社)への敬意と矛盾

先にも述べたように、私は、社会的に意義のある仕事かどうかを基準に仕事を選んできた。

そうなると、重要なのが、会社への敬意ある。

ただ、私の中でもっと大事だったのが、「矛盾」をどう解決していくかということだった。

 

福祉作業所で働いていたとき、お菓子を作っていた。

とてもとてもシンプルなクッキーやケーキだった。

原材料に関してもシンプルであるがゆえに特に問題がないとも感じていたが、

東日本大震災をきっかけに、身体、食に関して、非常にナーバスになっていた。

だから、製造するお菓子も原材料を、こだわりたかった。

 

ちょうどそのころ、バリバリの着色料を使用して、「アイシング」という作業を行って

見た目のかわいいクッキーを作るという流れになりそうだったとき、

私はこう提案した。

 

子どもや障がい者をはじめ、誰が食べても安心なものを作りたい!!!

と。

しかし返ってきた答えは、

売れるなら、どんどん着色料を使って製造して、売っていく

と一言。

この事は、私の想いとの矛盾が出来てしまった大きな原因の一つである。

こうなってしまうと、私がそこで働いていく意義を見いだせなくなってしまうのである。

雑誌社にいたとこも、作っているものこそ違えど、同じような事が目の前にあった。

これからの私。

 

仕事に対する「理想と現実」というより、自分の人生において腑に落ちないことで日々を過ごす、お金を頂くということが、どんなに心と身体の不調を生んでしまうのかということに気が付いてしまった。

すべてが100パーセント納得できる生き方ができるかどうかはわからないが、ただただ、楽しむということに重きをおいて、過ごしてみようと思う。

楽しいことがたくさん!!

楽しい人生でよいのです!!!