2019年4月、ご縁があり、
私のこれまでの経歴に興味を持ってくださった番組プロデューサーから連絡があった。
もとい、私の友人が取材を受け、その際にプロデューサーに私を紹介してくれた結果、興味を持った、ということである。
この時点で、人が人をつないでいる。
まとめのようになるが、私は真剣な人を応援することが好きで。
そして、私も、人から応援されるような人間でありたいと思う。
人こそが人を支援できる、ということ。ヒトが全て。
簡単だが、テレビで取り上げてくれた内容が、自己紹介のような内容でもあったので
記録としてブログに書いておく。
Google様さまから検索されるような内容にはほど遠い備忘録として:笑
北杜市地域おこし協力隊員からのご縁
山梨日日新聞社(にちにち新聞と読みます)と山梨放送(YBS)コラボ企画
「つなぐをつくろう!27市町村の旅」を企画している話を聞いた。
大手・地方関係なく、新聞社とテレビ局がかなり密でつながっている日本(これはメディアとしては怖い体制)はよくある話かもしれないが、テレビで取り上げた記事を新聞で深堀りするようなコラボ企画。放送日の4月26日は、テレビでも新聞でも「北杜市」を取り上げる、という趣旨。
私の友人は、北杜市林業地域おこし協力隊として新聞へ、私は北杜市農業地域おこし協力隊としてテレビに取材されるというもの。これは北杜市役所(地域おこし担当)がメディア対応して生まれた案件ではなく、メディアが独自の調査ネットワークや検索でたどり着いたことであり、たまたまヒットした、というのが答え、かもしれない。
全てはご縁。大切にしたい。
北杜市地域おこし協力隊については、下記のブログを参考に、気になることはお答えできるので直接ご連絡いただけたらと思う。
2021年度(令和3年度)北杜市地域おこし協力隊の募集について
2018年、2019年、2020年度の任期の2年目であったことの時に、このような取材を受けることができ、自分自身を整理することにもつながった。改めて紹介くださった友人、そして興味を持ってくださったプロデューサーに感謝申し上げます。
てててTV
という番組。夕方に放送される番組で、山梨放送YBSの冠番組であることは間違いない人気番組。
その新コーナーとして生まれた新聞社とのコラボ企画の第一回目。新しいことを始める人が多く集まる北杜市を第一回目として選んでくださった。
いしいそうたろう(よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑い芸人)をメインパーソナリティとして、安定の清純派アナウンサー三浦美香(私の姉と同じ名前:笑 2020年3月に退社)をメインMCとする番組。
下記、写真をメインに紹介する。あとはご想像にお任せします
FOOD AGRI NEXT LAB

FOOD AGRI NEXT LAB(略してFAN LAB)です。
気持ちはまだ30代前半ですが、実際37歳でした。同僚が大量に割って積んだ薪を整理整頓するという図。

何をつなぐ人なのですか?という質問に、答えてみた

主に、農業を通したコミュニティ作りをしています。


資源の有効活用、再生、活用を語ります

耕作放棄地を開墾して有効活用する。山梨県は比率で言うとスウェーデンと同じ森林率を誇る自然豊かな県。そして、同時に山が多く規模も小さい農地が多いからか、使いづらいとされ、放置されてしまう耕作放棄地率も、全国で2位(1位は長崎県)と言われていた。
ちょうど耕作放棄地を草刈りして開墾したばかりなので、有効利用できないか検討中だった。その作業を手伝ってもらい、場所の有効利用とは何かという話になった。写真でわかるように特に仕込んだわけではないが、開墾したカブを人力ロープで引っ張ってもらったところ、大きなカブがお笑い芸人のところへ転がった。

抜いたカブが坂を転がり、リポーターのお笑い芸人のもとへ。
殺す気か!とダチョウ倶楽部のようなツッコミ
実際これは、仕込んだわけでも提案されたわけでもない、おいしい映像でした。
リポーターは、これまた吉本所属のお笑い芸人「世間知らズ」という男女コンビ。ツッコミの椎木ゆうた(しいきゆうた)さんが、甲府工業?卒業生で柔道の県代表選手だったようです。そのご縁で、山梨放送に起用された売り出し中の芸人。

ちなみに序盤で、活動説明をする前に、まずは一度一緒に活動をやってみましょう、というくだりでボケの西田さおり(にしださおり)さんが「水着になった方がいいですか?」という質問に、私は、ばっちり答えたが、キレイにカットされていた。


新しい農業のスタイル、またはビジネスを作りたい、と思って門を叩いたのが2018年4月~。
地域おこし協力隊として、支援機関に属し、農業を学ぶ。
一年目は「NPOえがおつなげて(代表:曽根原久司)」
二年目、三年目は「FOOD AGRI NEXT LAB株式会社(代表:八木橋晃)」
海から山へ。世界からローカルへ

ここからは、前職のくだり
まずは、出身地。
山梨県南都留郡忍野村。潤っている村、である。
標高900mある忍野村(北杜市と違って平坦な高地)は、雪も降り寒い地域(北杜市は雪は降らない)の為、僕は中学1年生まで、ほっぺたが赤かった。
いまでは思い出。

ギリシャのパルテノン神殿。
Tシャツは、ゆずのライブTシャツ。高校大学とバスケ部に所属していてジャンプ力を世界遺産第一号の前で。対して飛んでないのは写真を撮ってくれた仲間がよく知っている。
フランス・モンサンミシェルと書いてあるが、この写真は、ギリシャのミコノス島。娘も一緒に行った時の写真。
世界一周の客船で休まず乗船し続けていたのか、と思われることが多いが、客室乗務員、添乗員が専門というよりは、国内でも営業活動から国際協力活動まで幅広く行っていた。

地球一周の船旅NGOピースボートの経歴のくだり。
海から山へ。世界からローカルへ。
かっこよく言うとこうなる。異色なキャリアを積んだなと自分でもそう思うが、
選択の連続が、人生だなと振り返ってそう思う。
「世界を回り続けていた」「世界の情報と常に隣り合わせにいた」というと聞こえがよく
周囲からは「田舎を飛び出しグローバルに活躍していてすごいね」と言われていた。
が、よく考えたら、グローバルに華やかに世界を回っていたというよりは、世界のローカルをよく回っていることにあるとき気づいた。

カンボジアのソワンタさん。元軍人でカンボジア内戦の時は、自ら地雷を埋めていた張本人。
その埋めた地雷で、両足を失った。ポルポト政権が終わった後も、カンボジアの悲劇は終わらず、今でも600万個の地雷が埋まっているといわれている。「たった1つでも埋まっている可能性がある」と言われたグランドで、みなさんはサッカーできますか?
脳裏からも離れない一生その土地の住みつく悪魔の兵器、地雷を撤去する募金活動をして、現地を検証する視察ツアーのコーディネートをしていた時の写真。
目の前で地雷が爆発したこと、地雷原を歩いた時に生まれてかいた冷や汗が、忘れられない。
2019年娘が中学校に入学する前に、家族でカンボジアに行った。
内線が終わってちょうど40年の解放記念日の日だった

スリランカの孤児院。ここは、尼寺であり、住んでいる生徒全員女性。
手前の男子は近所の子:笑
インド洋の真珠「スリランカ」。南部の都市コロンボの郊外にある孤児院。
当時は国際協力、交流って難しいものと思いながら孤児院の門をくぐった。
盛大な歓迎とは裏腹に、小さな子どもたちは特に照れながらも、交流ができた。
日本のボンカレーとスリランカ激辛カレーを交換したことがツボだった。
なぜ孤児院にいるの?という疑問
日本では孤児院という単語は近年耳にしなくなったと思うが、自分も全く考えたこともない世界だった。停戦状態だったスリランカなので、、、おそらく戦争孤児にでもなったのかなと「安易に」想像だけしていた。ただ現状はもっと残酷。
親は近くに住んでいる。たまに見かけたりもする距離。
経済的に子どもと暮らすことができずに捨てられた子どももいた。
自分の想像を超える答えに、何も言えなかった自分がいる。
なのに、なぜこの子たちは、こんなに笑顔で優しいんだ?
人が待ってくれている旅がしたい
スリランカの子どもたちは、経済的、政治的なことも含めて、世界を回ることはできない環境にある。パスポートを取ることも、ましてやビザを取ることも困難。
海外からの来客を招き入れることが、唯一、異文化と接することができるチャンス。
その自然な優しさは、「また来てほしい」と心からにじみ出る素直な綺麗な気持ちだった。
旅ができることの幸せ。忘れかけていたことを思い出させてくれた。
これからも、自分を訪ねてくれる人、北杜市に来てくれる人を受け入れ続けたい。
その原動力がここにある。


真剣な「世間知らズ」のお二人
殺す気か!のくだりの直後に、語りモードに:笑

娘とも一緒に行った。これはイタリアのシチリア島のシラクーサ(あれ?タオルミーナかな?)
このころの私は、それはもう激太りをキープしていた。
飲むのも、仕事で大事な付き合い。と割り切っていた:笑
外食=ラーメンの時代
サスティナブル最先端地域「八ヶ岳」を目指して
山に積りに積もっている落ち葉を集め
お米を作るときに発生する米ぬかを発行促進肥料として活用し
植物性の堆肥を作る
その堆肥を使って有機野菜を作り
消費者がサスティナブルな商品を選ぶちょっといい文化を作りたい
プラスティックではなく、土に返るものを使う
この農業を通した持続可能な循環型社会の、モデルケースになるような地域になり
私も、農業、林業、狩猟、観光なども含めた「実践者」として頑張っていきたい所存。
現在の大まかな会社のビジョン。地域内連携、そして地域と都内を結ぶ懸け橋に。



都会から田舎に移住してきた娘たち
まだ、娘たちには、実際どう?
と聞いてはいない。親の選択についていく、という意味では、友人が遊びに来た時に
田舎はどう?と聞かれて愚痴のように言っていたことを聞いたことはあるが、
その愚痴には特に後悔のようないやらしさはなく、今の現状、置かれている環境の中でどう生きるか、という次元にきている、と解釈している。LINEやネットを駆使していて、東京にいる時よりもアナログとデジタルを両方体感できているだけで、幅広い生き方にはつながっている、と思ってくれている、はず:笑 と思いたい。たまに東京に行ければたぶん満たされる、はず。





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